小田急電鉄5000形 (和泉多摩川−登戸間)

小田急初の分割併合を考慮した新造4扉20m車として、当時4輌+4輌で運転する急行に使われました。
その頃の急行は、他の電車がどれも短い3扉車だったので、整列乗車の位置がいくつも分けられていました。
旧性能の20m車もあったのですが、新系列の車輌とは併結ができなかったこともあり、5000形は貴重な存在でした。
小田急の通勤電車で初の本格冷房車となったのですが、とにかく冷えすぎていたのを記憶しています。
後に、側面の意匠を変えて6輌化された新型5000形(5200形)も登場し、3扉の短い電車を一掃しました。
雨の夜の踏切なので、なんとなく“学校の怪談”風な娘にしてみましたが、深い意味はないのでそう思っていただければ。
左側が多摩川のこの踏切は、和泉多摩川−登戸間の複々線化でなくなりました。
連続立体交差化で、新宿方面の線路の位置が上がったために、堤防上では踏切よりも高くなりました。
電車の後方には、すでに上り線の高架橋ができていましたが、見栄えがよくないので塗り消してあります。
雨で路面が濡れていることもありますが、電車の窓の明かりは、意外と明るく映っています。