建物コレクション 昭和のビルA〜C

すでに戦前とか戦後という言葉が遠い過去になってしまうほど、平和な日々が続いているが、昭和はこの言葉で分断される。
もっとも太平洋戦争を境に戦前・戦中・戦後と呼ぶのであって、戦争自体は昭和20年8月を迎えるまで約15年も続けていた。
普通は戦前が16年、戦中が4年、そして明治時代に並ぶほどの長い戦後があり、かくして昭和は終わった。
それから没個性の時代が続いて今日に至るが、そういう状況はいつまでも続くのであろう。
たしかにIT関連は飛躍的に進歩したようだが、あとは何だ?というような時代ということだろうか。
だいたいが昭和の残像で、ともすればノスタルジーに溺れそうなのだが、新しい世代にもその傾向が見え隠れするのが心配でもある。
メーカーがあえて昭和のビルと銘打って出してきたあたり、どうもこの会社も『三丁目の夕日』をひきずっているだけあると思われる。
左がAで、オフィスということだ。
鉄筋コンクリート建てのビルに、軽合金の装飾をしたものとみられ、1970年代くらいに流行した。
有名なところでは銀座の日軽金ビルだったが、リクルートのビルになってから黒塗りにされてしまった。
1階は何かのショールームだろうか、ガラス張りの明るい空間のようになっているが、片面の奥には出入口もあり床面積はそれほど広くはない。
たぶんこの奥まった入口は、1階専用のものだと思われる。
2階以上に行くには、横の階段を使うようになっているはずだが、このコンクリートむき出しの部分には、いろいろな設備があるのだろう。
階段とエレベーターのほかに、便所、給湯室などもありそうで、かなり狭い通路が入り組んでいそうである。
きれいに装飾されていても、こういう部分を残しているあたりは、いかにも昭和のビルという感じかもしれない。
縦に3分割でき、簡単に階数を変更することも可能で、普通に組むと写真のような5階建てになる。
壁面が軽合金仕様の部分の窓はモールド成型で、塗装で仕上げてある。
このシリーズでは抜き成型をしていない大型の窓はめずらしいのではないだろうか。
とりたてて改造はしておらず、銀色の部分以外を塗装して仕上げた。
中央がBでマンションだが、駅に近いところにありそうな下駄履きマンションであろう。
つまり、1階が非住居になっているマンションのことで、元々はそういうアパートを下駄履きと呼んだ。
もっとも横や後ろが2階以上と同じなので、職住一体の構造のようにも思えるが、看板から見てそういうこともなさそうだし、そうなると狭すぎるだろう。
これもAと同じく、2階以上に行くには正面横の扉から入らないとならない。
この構造だとエレベーターを設置できるかどうか微妙だが、なくても問題はないかもしれない。
というのは、5階の住居がメゾネット式になっているようなので、実質5階までだとすれば、なくてもさしつかえないとえよう。
屋上はどうやら共用部分のようだが、あるだけであまり使われないような気もする。
なんとなく表通り沿いにありそうで、間取りはあまり広くない賃貸マンションのはしりのようなものかもしれない。
これも2階づつのブロックになっていて、階数を変えて作ることもできるようになっている。
改造はしていないが、全面塗装で仕上げてある。
右がCでホテルということだが、昭和に入って旧来の煉瓦建てのホテルもないと思われることから、煉瓦仕様の外観というところだろう。
昭和といっても戦後というわけではないとすれば、戦前の建物を時代に合うようにしながら保たせているのかもしれない。
最近よくある似非レトロ調の建物というよりも、本当に古いという感じも出ており、見かけはとても好感が持てる。
戦後というか高度成長期以後に変えたところというと、屋上の高置水槽くらいで、あとは基本的に戦前のままなのだろうか。
たぶんエレベーターも昔のものが使われていそうである。
かといって格式がどうのとかいうこともなく、単に古くから営業しているところという、気負いのなさも感じられそうだ。
1階が石造りで上階が煉瓦というのは、輸入キットにはよく見られるものの、国産ではほかになかったかもしれない。
これも縦に3ブロックに分けられており階数の調整ができ、中央を外して4階建ても似合いそうだ。
無改造の全面塗装で仕上げたが、4面の部品はとてもきれいに張り合わせられたし、成型もたいへん細かくよくできている。
3つともに共通なのは、屋上の看板(情景小物として売っているものと同じ)があったことだが、似合わないので別に使うつもりでいる。
あとはまた分厚い地面が付いてきたので、側面と補強を削って一枚板にしてある。