津川洋行・複線煉瓦機関庫

どういうわけか、機関庫というと煉瓦造りを模型化する傾向があるようだ。
我が国では煉瓦建造物の歴史は短く、明治期くらいでだいたい終わりを告げた。
大正期に完成した東京駅丸の内駅舎などは例外的で、計画段階が明治時代で、建設が延びてしまったことによる。
関東大震災で焼失した万世橋駅舎あたりが、煉瓦造りの鉄道施設の最盛期だったのかもしれない。
煉瓦造りの鉄道施設が残っていたら、それは文化財ということになるのだろう。
そのようなわけで、なぜ新しい蒸気機関車ばかりが揃うNゲージで煉瓦機関庫ばかりが出てくるのか不思議だった。
ひとつやふたつあってもよいが、それよりも木造機関庫を先に出すべきではなかったのだろうか。
これもなんとなく買ってしまい後悔したが、しかたがないので電車庫に改造することにした。
17m電車2輌分の長さの車庫がほしかったので、ちょうどよい長さに切り継ぎ改造を敢行した。
どうせ反対側は見えなくなるので、片側をひとつの面に集めて、見えなくなる面はプラ板で作った。
そのままだと少し長くなるので、適当な長さにしてあまった分は温存してある。
最大の改造点はというと、煉瓦のモールドにラッカーパテを塗ってヤスリがけをすることだった。
どこかムダなことをしているような気もしたが、平滑にしたあとに塗ってみると、古びたコンクリートの質感がなくもない。
ただでさえ甘かった窓回りのモールドも削れてしまったので、気になるようならあとで作ってもよいかと思う。
窓ガラスは製品のままだが、窓桟だけは油性フェルトペンでお手軽に色入れした。
屋根はエバーグリーンのメタルサイディングか何かで葺いたが、薄いのであとから歪みが出てきた。
広い範囲で使う場合は、裏打ちするか、中間に補強の桟を入れるとかしないとならないのだろう。
棟の部分はプラ板で、通風器のようなものは、グリーンマックスの伊豆急キットに入っていた部品をもらってきて付けた。
本来の屋根は輸入ストラクチャーの倉庫を改造した際に、ほぼそのままの形で流用した。
道床付線路のお座敷運転でも使えるようにか、開口部はかなりの高さになっている。
そのため、レイアウトに組み込んだ状態ならなおさら余裕で、架線を引き込んで電車庫として使える高さがありそうだ。
元の姿は完成品で、本体が煉瓦色、屋根が黒の成形色別の無塗装だった。