煉瓦建造物

日本では、赤煉瓦の建造物が建ち始めたのは近代になってからで、それまで長い歴史を持った欧州とは異なっている。
しかも日本で普及してしばらくすると、ベトンの建物が登場してきて、明治の終わりの頃には取って代わられた。
欧州でも煉瓦を見せた建物の歴史はそう古くなく、長い間は煉瓦の上に漆喰を塗って仕上げていた。
古い建物など、漆喰がはがれて煉瓦がむき出しになったものも見られたようで、輸入ストラクチャーキットでもそういう表現は見られる。
煉瓦をさらした建物は英国から普及したらしく、その後開国した日本は、その建築様式を踏襲したのであろう。
明治時代はほかに堅固な建物もできなかったようで、いたるところに大小の煉瓦建築物が見られたが、現存するものはほとんどない。
あれば文化財級だろうが、都心にも小規模なものがひっそりと残っていたりする。
輸入キットならさぞかし煉瓦建造物も多かろうと思っていたが、全体的に見るとそれほどでもなかった。
KIBRIでは、これのほか何かあっただろうか。
上段は前後と左右がそれぞれ対称の1棟を2棟に分けたもので、左が普通に組んだものである。
裏側になる面だけプラ板に換えて、その裏面と3方をプラ板で作ったのが右のものになる。
右のは少し変化を持たせるために、玄関をひとつにまとめてプラ角棒を中央に配したり、一部の部品を上下入れ替えてある。
差掛も余剰部品とエバーグリーンの筋目板で作ったのだが、本来のものがどこに行ったのか不明である。
2階窓上の装飾はFALLERの余剰部品を流用した。
側面がプラ板を塗っただけなので、左右に建物を隣接させる必要があるだろう。
下のものも同様に前後と左右が対称だったので、反対側をプラ板で塞いで前後を横並びにしてみた。
こういうときに注意が必要なのは、柱の幅を同じにすることだ。
当然のことながら接合した中央の柱の幅が広くなるので、現物合わせで扉の左右の柱と幅を揃えた。
細かいことだが、こういうところに手を抜くと現実味がそがれる。
差掛部分はやはりエバーグリーンの筋目板にされているが、元がどうだったかは記憶にない。
たぶん、かなり幅がありすぎたのではなかったかと思われる。
長さが倍になり本来の屋根は使えなくなったので、津川洋行の煉瓦機関庫の余剰を現物合わせで切り貼りした。
換気屋根が少し高いような気もするので、暇があったら少し切りつめるかもしれない。
煉瓦建造物が増えてきたのでどうしようかと思ったが、レイアウトに港湾を取り入れる際には大いに役立つと思われる。